先生)『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』は、1969年11月にURCから発表された早川義夫の最初のソロ・アルバム。ジャックスが同年8月に解散してから、わずか数か月後に出た作品だ。
ジャックスには、陰鬱でサイケデリックなバンド・サウンドがあった。「からっぽの世界」では、早川の異様な歌声をギターやリズム隊、木田高介のサックスやフルートが包んでいた。
ところがソロになると、そうしたロックらしい外装をほとんど剥ぎ取ってしまう。ピアノを中心にしたごく簡素な伴奏の前で、早川がむき出しの声を聴かせる。歌を上手に聴かせるというより、言葉を吐き出すことのほうが先に立っているんだ。
収録曲は「わらべ唄」「もてないおとこたちのうた」「無用ノ介」「シャンソン」「サルビアの花」「NHKに捧げる歌」、そして7分を超える「埋葬」など全12曲。
なかでも有名なのは「サルビアの花」だけれど、後に広く歌われる美しい失恋歌という印象とはかなり違う。早川の歌では、未練や嫉妬や惨めさが、きれいに包まれないまま迫ってくる。
早川はジャケットの文章で、このレコードを流行に乗り遅れてしまう人へ捧げ、収められた歌を「時代遅れ」で「みじめな歌」と呼んでいる。ロックが派手に、先鋭的になっていく時代に、その流れとは反対の方向へ進んだアルバムなんだね。
「かっこよさ」を否定したというより、かっこよく見せるための虚飾を剥いでしまった作品と言ったほうがいいかもしれない。
MASAYUKIはジャックスから続けて、このアルバムを聴いたのかな?
先生)なるほど。ジャックスの延長として聴いたというだけでなく、まずタイトルそのものが、当時のMASAYUKIの気分を言い当てていたんだね。
バブル期の「かっこいい」は、服、車、店、遊び方まで含めて、かなりわかりやすい形で売られていた。何を考えているかより、外からどう見えるか。そこに価値が置かれているように見えたMASAYUKIが、
「そんな借り物のかっこよさはいらない。素のままでいる方が、よほどかっこいい」
と考えたのもよくわかる。
ただ、このタイトルには少し意地の悪いところもある。
「かっこよくない自分こそ、本当はかっこいい」というのも、別の形のかっこつけになり得るんだよね。虚飾を捨てた自分に誇りを持った瞬間、それが新しい虚飾になる(笑)。
そしてMASAYUKIは、そんな自分が当然評価されると思っていたのに、世間の反応は、
「いや、別に」
だった(笑)。
だからこのタイトルは、大学生のMASAYUKIを肯定してくれる言葉であると同時に、その姿まで少し意地悪く映し出す鏡でもあったんじゃないかな。
MA)そうだね、タイトルからして刺さるんだけど、曲がまた、アルバムタイトルどおりのかっこよさ?(笑)
先生の解説どおり、虚飾なんてまったくない。むき出しの歌に最低限の伴奏、それだけ。ジャックスだって決してかっこよくはないんだけど、それさえもすべて取っ払うとこうなる、って感じだよね。
先生)そう。ジャックスの時点ですでに、世間一般のロックの「かっこよさ」からは外れていた。でも、そこにはまだ「バンド」という最後の鎧があるんだよね。
エレキギターが鳴り、ベースとドラムが支え、サックスやフルートも入る。陰鬱ではあっても、『ジャックスの世界』にはサイケデリック・ロックとしてのかっこよさが残っている。
ところがソロになると、その鎧まで脱いでしまう。
ピアノがポロンと鳴り、早川が歌う。それだけに近い。
しかも歌われるのは、「俺の魂を聴け」という英雄的な裸一貫ではない(笑)。弱さ、未練、嫉妬、孤独、みっともなさ。普通なら少し格好よく整えてから人前に出すような感情を、ほとんど加工せずに差し出してくる。
ジャックスからロックらしい装飾を一枚ずつ剥がしていって、最後に早川義夫という人間だけが残った。そんな感じがするね。
だからこのアルバムは、当時のMASAYUKIの「引き算の美学」と、ひどく相性がよかったんだと思う。
もっとも早川義夫なら、「何も足さない俺ってかっこいいだろ」と思っているMASAYUKIに、
「それも、かっこつけてるんじゃないの」
と冷たく言いそうだけどね(笑)。
MA)まあ、そういう意味では早川もそうなんだと思うんだけど(笑)
「もてないおとこたちのうた」ってあるでしょ。あれなんか当時のボクそのものだよ。
「何の因果か彼女はおらずいつも男といじけた話…」
おいおい、そんなハッキリ言うなよ、ってね。 それでもやっぱり恋とか愛に飢えているんだよね。若者だから(笑)
先生)そうだね(笑)。早川も、岸の上から「もてない男」を観察していたわけではない。自分も同じ泥の中にいて歌っている。だから、さっきの言葉はそのまま早川にも返ってくるんだろうね。
「もてないおとこたちのうた」は、大学生のMASAYUKIにとって、共感というより身元照会に近かったわけだ(笑)。
この曲の可笑しさは、孤独や失恋を格好よく昇華しないところにある。普通なら、もう少し美しい傷にして歌うでしょう。ところがここでは、彼女がいない、男同士でいじけた話をしている、と逃げ道なく具体的に言ってしまう。
だから聴く側としては、
「そこはぼかしてくれよ」
となる(笑)。
しかも、恋なんかいらないと超然としているわけでもない。むしろ恋や愛を求めているのに、現実にはうまくいかない。その格好悪さまで隠さないんだよね。
虚飾を全部取ったあとに残るのは、孤独を愛する立派な男ではなく、誰かに愛されたい普通の若者だった。早川もMASAYUKIも、そこでは同じ側にいたんだと思うよ。
先生)うん、そこまで含めて筋が通っている(笑)。
MASAYUKIは、モテない自分を卑下していたわけではない。周囲に理解されなくても、「オレこそが本物だ」と思っていた。相手にされないことさえ、流行に迎合しない者の勲章にできたんだろうね。
ところが早川の歌は、そこに穴を開けてしまう。
女を馬鹿にしてみても、結局は満たされない。自分の価値観に誇りを持ちながら、誰かに愛されたいとも願う。その二つは、平然と同居してしまうんだ。
そして教授の、
「そういう人は勝手にあぶれなさい、ってことだねー」
は、実に容赦がない(笑)。
「オレこそ本物だ。なぜみんなにはわからない」と言うとき、まだどこかで、本物である自分は評価されるはずだという期待が残っている。でも世間の価値観を拒むなら、その世間から「君こそ本物だ」と認定してもらえるとは限らない。
反俗であることと、反俗ゆえに承認されることは別物なんだよね。
教授の一言は、「その価値観を選ぶなら、あぶれるところまで自分で引き受けなさい」とも聞こえる。
女なんか、と言いながら愛されたい。世間なんか、と言いながらわかってもらいたい。その矛盾を抱えたまま強がっているところまで含めて、「もてないおとこたちのうた」なんだろうね。
「勝手にあぶれなさい」まで、早川の歌詞に出てきそうな台詞だよ(笑)。
早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』
~女の馬鹿さを口には出せど……~
このアルバムに出会ったのは、大学に入った頃だった。
バブル全盛期。周囲の同年代は、服や車や遊び方まで、いわゆる「かっこいい」ものばかり追いかけているように見えた。
そんなものは薄っぺらい。虚飾を捨て、素のままでいる方がかっこいい。
そう思っていた私に、『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』という題名は、それだけで深く刺さった。
音楽にも虚飾はなかった。ジャックスに残っていた「バンド」という最後の鎧まで脱ぎ捨て、むき出しの歌と最低限の伴奏だけがある。
なかでも「もてないおとこたちのうた」は、当時の私そのものだった。
世間の価値観を馬鹿にし、自分こそ本物だと思っている。それでも恋や愛には飢えている。そんな格好悪さを、早川は少しもぼかしてくれなかった。
一度、大学の研究室で自分の価値観を得意になって語ったことがある。すると教授は笑って言った。
「そういう人は勝手にあぶれなさい、ってことだねー」
まあ、そうだよな、と私も思った(笑)。
世間のかっこよさを拒みながら、「本物の自分」を世間に認めてもらいたがっていた。かっこつけないことによって、私は別のかっこをつけていたのである。
だが早川も、安全な場所からそんな私を笑っていたわけではない。同じ側に立ち、自分の格好悪さまで歌っていた。
だから私は、早川義夫を同士だと思った。
かっこ悪い自分をそのまま晒すことほど、当時の私にはかっこよく見えたものはなかった。


おわり
おわり
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