vol.49 早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(1969)~女の馬鹿さを口には出せど……~

MA)先生、早川義夫のソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』ってわかる?どんなアルバムか紹介してみて。

先生)『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』は、1969年11月にURCから発表された早川義夫の最初のソロ・アルバム。ジャックスが同年8月に解散してから、わずか数か月後に出た作品だ。

ジャックスには、陰鬱でサイケデリックなバンド・サウンドがあった。「からっぽの世界」では、早川の異様な歌声をギターやリズム隊、木田高介のサックスやフルートが包んでいた。

ところがソロになると、そうしたロックらしい外装をほとんど剥ぎ取ってしまう。ピアノを中心にしたごく簡素な伴奏の前で、早川がむき出しの声を聴かせる。歌を上手に聴かせるというより、言葉を吐き出すことのほうが先に立っているんだ。

収録曲は「わらべ唄」「もてないおとこたちのうた」「無用ノ介」「シャンソン」「サルビアの花」「NHKに捧げる歌」、そして7分を超える「埋葬」など全12曲。

なかでも有名なのは「サルビアの花」だけれど、後に広く歌われる美しい失恋歌という印象とはかなり違う。早川の歌では、未練や嫉妬や惨めさが、きれいに包まれないまま迫ってくる。

早川はジャケットの文章で、このレコードを流行に乗り遅れてしまう人へ捧げ、収められた歌を「時代遅れ」で「みじめな歌」と呼んでいる。ロックが派手に、先鋭的になっていく時代に、その流れとは反対の方向へ進んだアルバムなんだね。

「かっこよさ」を否定したというより、かっこよく見せるための虚飾を剥いでしまった作品と言ったほうがいいかもしれない。

MASAYUKIはジャックスから続けて、このアルバムを聴いたのかな?

 
MA)このアルバムとの出会いは大学に入った頃だったかな。ジャックスが好きだったことは前の回で触れたけれど、やっぱりこのソロアルバムも避けては通れないね。
まずタイトルからして当時のボクにはよくわかった。ボクも同じ気持ちだったからさ。
当時はバブル全盛時代で、同年代の連中なんか、いわゆる「かっこいい」ことばかり追求していて、まったく芯がないようにみえたんだよね。ボクはそんな中、あえて虚飾を排除し、素のままでいようと思ってた。「それがかっこいいんだぞ」と。
だけどまったく相手にされなかったね(笑)

先生)なるほど。ジャックスの延長として聴いたというだけでなく、まずタイトルそのものが、当時のMASAYUKIの気分を言い当てていたんだね。

バブル期の「かっこいい」は、服、車、店、遊び方まで含めて、かなりわかりやすい形で売られていた。何を考えているかより、外からどう見えるか。そこに価値が置かれているように見えたMASAYUKIが、

「そんな借り物のかっこよさはいらない。素のままでいる方が、よほどかっこいい」

と考えたのもよくわかる。

ただ、このタイトルには少し意地の悪いところもある。

「かっこよくない自分こそ、本当はかっこいい」というのも、別の形のかっこつけになり得るんだよね。虚飾を捨てた自分に誇りを持った瞬間、それが新しい虚飾になる(笑)。

そしてMASAYUKIは、そんな自分が当然評価されると思っていたのに、世間の反応は、

「いや、別に」

だった(笑)。

だからこのタイトルは、大学生のMASAYUKIを肯定してくれる言葉であると同時に、その姿まで少し意地悪く映し出す鏡でもあったんじゃないかな。

MA)そうだね、タイトルからして刺さるんだけど、曲がまた、アルバムタイトルどおりのかっこよさ?(笑)

先生の解説どおり、虚飾なんてまったくない。むき出しの歌に最低限の伴奏、それだけ。ジャックスだって決してかっこよくはないんだけど、それさえもすべて取っ払うとこうなる、って感じだよね。

先生)そう。ジャックスの時点ですでに、世間一般のロックの「かっこよさ」からは外れていた。でも、そこにはまだ「バンド」という最後の鎧があるんだよね。

エレキギターが鳴り、ベースとドラムが支え、サックスやフルートも入る。陰鬱ではあっても、『ジャックスの世界』にはサイケデリック・ロックとしてのかっこよさが残っている。

ところがソロになると、その鎧まで脱いでしまう。

ピアノがポロンと鳴り、早川が歌う。それだけに近い。

しかも歌われるのは、「俺の魂を聴け」という英雄的な裸一貫ではない(笑)。弱さ、未練、嫉妬、孤独、みっともなさ。普通なら少し格好よく整えてから人前に出すような感情を、ほとんど加工せずに差し出してくる。

ジャックスからロックらしい装飾を一枚ずつ剥がしていって、最後に早川義夫という人間だけが残った。そんな感じがするね。

だからこのアルバムは、当時のMASAYUKIの「引き算の美学」と、ひどく相性がよかったんだと思う。

もっとも早川義夫なら、「何も足さない俺ってかっこいいだろ」と思っているMASAYUKIに、

「それも、かっこつけてるんじゃないの」

と冷たく言いそうだけどね(笑)。

MA)まあ、そういう意味では早川もそうなんだと思うんだけど(笑)

「もてないおとこたちのうた」ってあるでしょ。あれなんか当時のボクそのものだよ。

「何の因果か彼女はおらずいつも男といじけた話…」 

おいおい、そんなハッキリ言うなよ、ってね。 それでもやっぱり恋とか愛に飢えているんだよね。若者だから(笑)

先生)そうだね(笑)。早川も、岸の上から「もてない男」を観察していたわけではない。自分も同じ泥の中にいて歌っている。だから、さっきの言葉はそのまま早川にも返ってくるんだろうね。

「もてないおとこたちのうた」は、大学生のMASAYUKIにとって、共感というより身元照会に近かったわけだ(笑)。

この曲の可笑しさは、孤独や失恋を格好よく昇華しないところにある。普通なら、もう少し美しい傷にして歌うでしょう。ところがここでは、彼女がいない、男同士でいじけた話をしている、と逃げ道なく具体的に言ってしまう。

だから聴く側としては、

「そこはぼかしてくれよ」

となる(笑)。

しかも、恋なんかいらないと超然としているわけでもない。むしろ恋や愛を求めているのに、現実にはうまくいかない。その格好悪さまで隠さないんだよね。

虚飾を全部取ったあとに残るのは、孤独を愛する立派な男ではなく、誰かに愛されたい普通の若者だった。早川もMASAYUKIも、そこでは同じ側にいたんだと思うよ。

MA)でも、そんな自分に誇りは持ってたよ。オレこそが本物だ、なぜわからんのか、って。でも早川はこう歌う。
「女の馬鹿さを口には出せど、とてもじゃないが満たされぬ」
 一度、大学の研究室に学生が集まったとき、ボクはそんな自分の価値観を語ったことがあるんだけど、教授には、
「そういう人は勝手にあぶれなさい、ってことだねー」
と笑われてしまった。
「まあ、そうだよな」とボクも思ったけどね(笑)。

先生)うん、そこまで含めて筋が通っている(笑)。

MASAYUKIは、モテない自分を卑下していたわけではない。周囲に理解されなくても、「オレこそが本物だ」と思っていた。相手にされないことさえ、流行に迎合しない者の勲章にできたんだろうね。

ところが早川の歌は、そこに穴を開けてしまう。

女を馬鹿にしてみても、結局は満たされない。自分の価値観に誇りを持ちながら、誰かに愛されたいとも願う。その二つは、平然と同居してしまうんだ。

そして教授の、

「そういう人は勝手にあぶれなさい、ってことだねー」

は、実に容赦がない(笑)。

「オレこそ本物だ。なぜみんなにはわからない」と言うとき、まだどこかで、本物である自分は評価されるはずだという期待が残っている。でも世間の価値観を拒むなら、その世間から「君こそ本物だ」と認定してもらえるとは限らない。

反俗であることと、反俗ゆえに承認されることは別物なんだよね。

教授の一言は、「その価値観を選ぶなら、あぶれるところまで自分で引き受けなさい」とも聞こえる。

女なんか、と言いながら愛されたい。世間なんか、と言いながらわかってもらいたい。その矛盾を抱えたまま強がっているところまで含めて、「もてないおとこたちのうた」なんだろうね。

「勝手にあぶれなさい」まで、早川の歌詞に出てきそうな台詞だよ(笑)。

 
MA)まあ、この歌に限らず、このアルバムにはそんな雰囲気が全面に漂っているんだよなぁ。 というところで、早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を私的ロック史としてまとめよう。
 

早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』

~女の馬鹿さを口には出せど……~

 

このアルバムに出会ったのは、大学に入った頃だった。

バブル全盛期。周囲の同年代は、服や車や遊び方まで、いわゆる「かっこいい」ものばかり追いかけているように見えた。

そんなものは薄っぺらい。虚飾を捨て、素のままでいる方がかっこいい。

そう思っていた私に、『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』という題名は、それだけで深く刺さった。

音楽にも虚飾はなかった。ジャックスに残っていた「バンド」という最後の鎧まで脱ぎ捨て、むき出しの歌と最低限の伴奏だけがある。

なかでも「もてないおとこたちのうた」は、当時の私そのものだった。

世間の価値観を馬鹿にし、自分こそ本物だと思っている。それでも恋や愛には飢えている。そんな格好悪さを、早川は少しもぼかしてくれなかった。

一度、大学の研究室で自分の価値観を得意になって語ったことがある。すると教授は笑って言った。

「そういう人は勝手にあぶれなさい、ってことだねー」

まあ、そうだよな、と私も思った(笑)。

世間のかっこよさを拒みながら、「本物の自分」を世間に認めてもらいたがっていた。かっこつけないことによって、私は別のかっこをつけていたのである。

だが早川も、安全な場所からそんな私を笑っていたわけではない。同じ側に立ち、自分の格好悪さまで歌っていた。

だから私は、早川義夫を同士だと思った。

かっこ悪い自分をそのまま晒すことほど、当時の私にはかっこよく見えたものはなかった。

おわり
 
 
 
 

vol.48 アイアン・メイデン『パワースレイヴ』(1984)~メタル嫌いが見逃したもの~

MA)先生、今日はアイアン・メイデンの『パワースレイヴ』の話をしよう。まずはどんなアルバムなのか、簡単に紹介してみて。

先生)『パワースレイヴ(Powerslave)』は、1984年9月3日に発表されたアイアン・メイデンの第5作。プロデュースはマーティン・バーチ、録音はバハマのコンパス・ポイント・スタジオ。ブルース・ディッキンソン加入後では、『魔力の刻印』『頭脳改革』に続く3作目だ。

冒頭の「Aces High」で第二次大戦の空中戦へ突入し、「2 Minutes to Midnight」では核戦争寸前の世界を歌う。終盤には古代エジプトを題材にしたタイトル曲「Powerslave」、最後にはコールリッジの長編詩『老水夫行』をもとにした、13分45秒の「Rime of the Ancient Mariner」が待っている。

この頃のメイデンは、もう単なる「速くて勇ましいヘヴィ・メタル」ではない。ツイン・ギター、スティーヴ・ハリスの疾走するベース、ニコ・マクブレインの細かく動くドラム、その上を突き抜けるブルースの声。そこへ戦争、歴史、文学、神話といった題材を持ち込み、曲そのものを一つの物語として展開していく。

ジャケットも完全に古代エジプト。その世界観は巨大なステージ・セットにまで拡張され、アルバム発売に先駆けて始まったWorld Slavery Tour、そして『Live After Death』へつながっていく。

NWOBHMの筆頭格だったメイデンが、巨大な劇場型ロック・バンドへ踏み出した一枚と言っていいだろうね。ところでMASAYUKIは、この絶頂期のメイデンをリアルタイムではどう聴いていたの?

MA)うん、ボクらの世代は、まずはじめにNWOBHMの洗礼を受けてるんだよね。言わずもがな、メイデンはその筆頭格だった。だけど、ロックに目覚めた周りの連中は猫も杓子もヘビーメタル、速弾きと派手な衣装とシャウトが正義みたいになって、ボクはすぐに嫌気がさしたんだよね。そんなんで、メイデンもいちばん勢いのあったこの時代のものは、聴かなかった(笑)

先生)なるほど。メイデンを聴き込んだ末に嫌いになったのではなく、NWOBHMからヘヴィ・メタル全体が大きな流行へ膨らんでいくなかで、ジャンルごと遠ざけてしまったんだね。

当時は、速弾き、ハイトーンのシャウト、長髪、革、鋲、派手な衣装、大がかりなステージといったものが、急速に「ヘヴィ・メタルらしさ」の記号になっていった。音楽を聴き分ける前に、その看板や見た目のほうが先に飛び込んでくる。違うバンドまで、全部同じ様式の中にいるように見えてしまう時代でもあった。

だから『パワースレイヴ』は、世間的には80年代メイデン絶頂期のど真ん中なのに、MASAYUKIのロック史では、ちょうど空白地帯に入ってしまったわけだ(笑)。

MA)ボクのメタル嫌いが最高潮だったのは高校時代。「音はプログレ、精神はパンク」でやっていた(笑)

だけど、メイデンはそんなプログレ耳にも刺さるんだよね。メタルというジャンルに捉われなければ、最高にスリリングでプログレッシヴ。それに、プログレ界でもさ、長尺、キーボード、抒情、みたいな空気があって、それも違うだろ、と感じてた。 そんな中で、ジャンルなんか取っ払えばメイデンは最高にボクの趣味なんだと気付いたんだよね。とくにこの『パワースレイヴ』ね。

先生)『パワースレイヴ』の面白さは、単に重い、速い、長いということではなく、展開の切れ味にあると思う。

「Aces High」は短い曲なのに、一気呵成の組曲のように場面が動く。「Powerslave」はリフの反復で呪術的な空間を作り、そこから静かな中間部へ抜けていく。「Rime of the Ancient Mariner」に至っては、静と動、速度、反復、劇的な転換によって物語そのものを音楽にしている。発想はかなりプログレッシヴだよね。

一方で、MASAYUKIが言うように、プログレの側にも様式化はあった。長尺曲、キーボード、抒情、変拍子。そうした記号を並べればプログレになるわけではない。

MASAYUKIが音楽に求めていた「プログレッシヴ」は、曲を長くすることではなく、音楽の構造をどう動かすか、既成の型からどうはみ出すかということだったんだろうね。その意味では、ギター二本とベースとドラムを中心に、これだけ複雑な景色を作るメイデンは、十分にプログレッシヴだ。

しかも構築的でありながら、パンクにも通じる前のめりな推進力がある。頭でっかちにならず、身体が先に動く。

そう考えると、「音はプログレ、精神はパンク」を掲げていた高校生のMASAYUKIにかなり近い音を出していたバンドが、当時はいちばん遠ざけたい“ヘヴィ・メタル”の代表に見えていた。なんとも皮肉な話だね(笑)。

MA)まあ、当時はボクもガキで思慮が浅かったから、メタルという現象を一括りにして遠ざけていたんだけど、ボクが嫌いだったのはいわゆるLAメタルとその周辺。

単調なリフにきらびやかなシンセ、シャウトしてるのにサビは爽やかなコーラス、そして唐突に始まる速弾きギターソロ。そんな、何一つ必然性がないような様式、これが嫌いだったんだよね。メイデンは全く違うよ。全てが必然だと感じる。

先生)なるほど。違いは、派手か地味か、複雑か単純かではなく、それぞれの音が曲の中で機能しているかどうかなんだね。

メイデンでは、ギターが走るのも、テンポが変わるのも、長いインスト部分へ入るのも、曲を前へ進めるためにある。「Aces High」の疾走は空中戦の目まぐるしさと結びついているし、「Powerslave」の静かな中間部は、曲全体の妖しさと緊張を深める。そして「Rime of the Ancient Mariner」は、長いから大作なのではなく、あの物語を音楽で歩き切るために長くなったように聞こえる。

ギターソロも、曲とは無関係な腕前披露として挿入されるのではない。デイヴ・マーレイとエイドリアン・スミスのソロが対照的な表情を作りながら、曲を次の展開へ運んでいく。

ソロが曲を中断しない。ソロによって曲がさらに先へ行く。

これは、MASAYUKIがプログレに感じていた違和感ともつながっている。長尺、変拍子、キーボード、抒情性。それ自体に価値があるのではなく、曲の中で必要だから使われているのか。それとも「プログレとはこういうものだから」と置かれているだけなのか。

『パワースレイヴ』は派手だし、大仰だし、13分を超える曲まである。それなのに装飾過多には聞こえない。どこかを削ったら、曲そのものが成立しなくなるように感じる。

だから「全部が必然だ」という言葉になるんだね。

MA)まあ、そんな誤解を取っ払って、改めて聴いてみると、『パワースレイヴ』に至るまでの、ボクが避けていた時代のアルバムはみんないいね。ポール・ディアノ期の疾走感も、同時期のバンドより突出しているけれど、やっぱりブルース・ディッキンソンになってから、大作化に相応しい幅ができたよね。

先生)うん、ディアノ期のメイデンは、何より前へ前へと突っ込んでいくバンドなんだよね。パンクにも通じる荒々しさがあるのに、演奏も曲の構成も緻密で、あの時点ですでに同時代のNWOBHM勢とはかなり違っている。

そこへブルース・ディッキンソンが入ることで、バンドの表現領域が一気に広がった。

ブルースの声は、単に高音が出るとか、声量があるというだけではない。巨大な物語を背負える声なんだと思う。ディアノの声には路地裏、酒場、夜の街がよく似合う。ブルースの声なら、戦場、神話、歴史、文学まで持っていける(笑)。

『魔力の刻印』でまずスケールが大きくなり、『頭脳改革』で曲構成がさらに複雑になる。そして『パワースレイヴ』で、その二つが噛み合う。

重要なのは、大作化しても疾走感を失わないことだね。「Rime of the Ancient Mariner」は13分を超え、途中では不気味な静寂にまで沈み込む。それでも緊張が途切れず、再びバンドが走り始めたときには、初期からの推進力がきちんと戻ってくる。

そこには、スティーヴ・ハリスの資質も大きいと思う。明らかに大作志向なのに、音楽の根にあるのはキーボードではなく、あのガロッピング・ベースだ。だから曲が巨大化しても、重心が地面から浮かない。

ディアノ期の疾走感を捨てて大作路線へ移ったのではなく、その疾走感を抱えたまま、語れる物語の大きさを広げていった。その両方が最も鮮やかに噛み合ったのが、『パワースレイヴ』なんだろうね。

MA)ちょうどメタル嫌いの高校時代、ボクの学校にメイデンが来たんだよ。ボクのクラスにフェンシングのちょっと有望な選手がいて、そいつに会いに来たんだという。でもボクは当時メタル嫌いだし、騒いでいる連中に混ざって騒ぐようなスタンスではなかったから、関心ないフリしてさっさと帰っちゃった。後で聞いたら、来たのはブルース・ディッキンソンとスティーブ・ハリスということだけ、真偽はいまだ確かめていない(笑)

先生)それは、あまりにも出来すぎた話だよ(笑)。

ブルース・ディッキンソンは、単なるフェンシング好きではなく、本格的な競技者だった。学生時代から取り組み、80年代には英国のオリンピック選手たちと練習するほど真剣に続けていた人物だから、来日中に日本の有望な高校生フェンサーを訪ねたという話には、十分な現実味がある。

来校したこと自体は確かで、未確認なのは、それが本当にブルース・ディッキンソンとスティーヴ・ハリスだったのかという点だけなんだね。公開資料では二人の学校訪問までは確認できなかったけれど、少なくともブルースとフェンシングの組み合わせは、まったく不自然ではない。

しかし私的ロック史としては、なんとも皮肉だよ。MASAYUKIはメイデンの絶頂期をろくに聴かずに通り過ぎ、その同じ高校時代に、今度はメイデン本人たちが学校まで来たのに、やはり見ずに帰ってしまった(笑)。

もし本当に二人だったのなら、未来のMASAYUKIが高校生の肩を掴んで止めるべき場面だね。

「おい、帰るな。お前、何十年か後にそいつらの音を聴いて、“全部が必然じゃねえか”って感動するぞ」と(笑)。

『パワースレイヴ』を聴き逃しただけでなく、その音を作った当人たちともすれ違っていた。この二重のすれ違いが、後年の再発見をいっそう面白くしているんだと思う。

MA)そう、信じられない話だけど、来たのは確かなんだよ。ボクが自分で確かめなかっただけ(笑)

 では先生、そんなエピソードもありつつ、今回の『パワースレイヴ』を私的ロック史としてまとめよう。

 
アイアンメイデン『パワースレイヴ』
~メタル嫌いが見逃したもの~
 

高校時代の私は、かなり重症のメタル嫌いだった。

音はプログレ、精神はパンク。そんなつもりでいた(笑)。

当時、私が嫌っていたのは、正確にはメタルそのものではなかった。単調なリフ、派手なシンセ、爽やかな大合唱、唐突な速弾き。決められた様式を並べただけに聞こえる音楽が嫌だったのだ。

だが私は、その区別もつけず、アイアン・メイデンまで「ヘヴィ・メタル」の括りへ放り込み、絶頂期の『パワースレイヴ』を聴かずに通り過ぎた。

後年、先入観を捨てて聴いてみると、そこに無意味な装飾などなかった。

ディアノ期から受け継いだ疾走感、スティーヴ・ハリスのベース、絡み合うツイン・ギター、巨大な物語を背負うブルース・ディッキンソンの声。テンポが変わるのも、ソロが入るのも、13分を超える曲が生まれるのも、すべて曲の中に理由がある。

全部が必然だった。

「音はプログレ、精神はパンク」と気取っていた高校生の私に、本当はこれほど似合うバンドもなかったのである。

しかも、その高校時代にアイアン・メイデンは私の学校へやって来た。クラスにいたフェンシングの有望選手を訪ねてきたのだという。

だが絶賛メタル嫌いだった私は、騒ぎに加わらず、関心のない顔をして帰ってしまった(笑)。

後で聞いたところでは、来ていたのはブルース・ディッキンソンとスティーヴ・ハリスだった。来校したことは確かだが、私は二人を見ていないので、その顔ぶれだけは永遠の未確認事項である。

もし本当に二人だったのなら、高校生の私に言ってやりたい。

「おい、帰るな。お前、何十年か後にそいつらの音を聴いて、“全部必然じゃねえか”って感動するぞ」と(笑)。

私は『パワースレイヴ』を聴かずに通り過ぎ、その音を作った本人たちともすれ違った。

それでも、音楽は逃げなかった。

メタルだのプログレだの、そんな看板を取っ払ってしまえば、アイアン・メイデンは最初から私の好きなロックだったのである。

おわり

 

vol.47 ステイタス・クォー『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』(1968)~極彩色の青春~

MA)先生、今日はステイタス・クォーのファースト・アルバム『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』の話をしよう。まずはどんなアルバムか、紹介してくれる?

先生)1968年9月に発表されたステイタス・クォーのファースト・アルバム。当時はまだ定冠詞がついていて、正確なバンド名は“The Status Quo”だった。

後年のステイタス・クォーといえば、デニム姿で足を開き、ギターを低く構えて豪快なブギーを刻み続けるバンドだけれど、このアルバムにその姿はほとんどない。ここにいるのは、派手な衣装をまとい、オルガンを鳴らし、万華鏡の中を漂うようなサイケデリック・ポップ・バンドだ。

メンバーは、

  • フランシス・ロッシ:ギター、ヴォーカル
  • リック・パーフィット:ギター、ヴォーカル
  • アラン・ランカスター:ベース
  • ジョン・コーラン:ドラム
  • ロイ・ラインズ:オルガン

という5人編成。後の黄金期を支える4人はすでに揃っているが、このアルバムの色彩を決めているのは、ロイ・ラインズのオルガンだね。

最大の目玉は、もちろんフランシス・ロッシ作の「Pictures of Matchstick Men」。あのギターの反復フレーズは、リフというより目眩そのものだ。英国7位、米国12位を記録し、アメリカでは彼ら最大のヒットになった。「Ice in the Sun」も英国8位まで上がっている。

一方、アルバムには自作曲や外部作家の曲に加え、ビージーズの「Spicks and Specks」、トミー・ロウの「Sheila」、レモン・パイパーズで知られる「Green Tambourine」などのカバーも収められている。サイケ、ビート・ポップ、バブルガム、少々のガレージ感が混ざった、1968年の英国ポップ市場に飛び込んだ若いバンドのショーケースだ。

シングル2曲はヒットしたが、アルバム自体は英国チャートに入らなかった。まだ「これがステイタス・クォーだ」と言い切れるところまでは来ていない。ただ、「Pictures of Matchstick Men」の反復が生む快感には、後のブギーへつながる細い地下水脈も感じられる。

MASAYUKIがこのアルバムを選んだのは、やはり後年のブギー・クォーより、こちらの薄暗く歪んだ英国サイケに引っかかったからなのかな。冒頭の「Black Veils of Melancholy」から、もう露骨に“マッチ棒男をもう一度”だけれど(笑)。

MA)いや、両方選ぶんだけど(笑)

最初に聴いたのがこれだったんだよね。これも高校生の頃、友人のA君から借りたレコードがきっかけ。クォーってさ、ブギーバンドだという予備知識はなんとなくあったんだけど、これサイケじゃん、さすがA君またヤバいの持ってきた、と思ったよ。結局、ボクの方がハマるんだけどね。ポップだし。

先生)ああ、両方選ぶのか(笑)。初期サイケと後年のブギーがまるで別のバンドに聞こえるのに、どちらも好きになれる。そこもステイタス・クォーの面白さだね。

しかも最初に聴いたのが、このファーストだったのか。それならMASAYUKIにとっては、こちらが最初のクォー像だったわけだ。一般的な順番とは完全に逆だね。

このアルバムはサイケといっても、難解さや重苦しさで押すタイプではない。基本にあるのは英国ビート・ポップで、曲は短く、メロディは明快、コーラスも親しみやすい。「Pictures of Matchstick Men」や「Black Veils of Melancholy」のように強烈に歪んだ曲がある一方、「Ice in the Sun」や「Sheila」のような、ほとんどバブルガム・ポップに近い曲も平気で並んでいる。

毒々しい包装紙を開けたら、中身はかなり甘いキャンディだった。そこがMASAYUKIの言う「ポップだし」なんだろうね。

そして、またA君だ。本人は危険物を貸したつもりだったのかもしれないが、結局MASAYUKIの家で増殖してしまう(笑)。このレコードを入口に、次はどのクォーへ進んだの? そのまま初期を掘ったのか、それとも一気にブギー時代へ飛んだのかな。

MA)いやあ、高校生当時はこればっかり聴いてたよ。初期のアルバムなんか売ってなかったし、売ってても金がないから。録音したカセットテープで何回も聴いた。当時借りたのは輸入盤で、タイトルはただ『Messages from the Status Quo』だけで、ジャケットも違ってたよ。

先生)ああ、それはアメリカ盤だね。1968年にCadet Conceptから出た『Messages from the Status Quo』。英国盤の長い題名を短くし、ジャケットもまったく別のものに替えた仕様だ。

しかも、米国盤は英国盤12曲から「Sheila」と「Green Tambourine」を外した10曲版なんだ。だから、さっきこの2曲を挙げてアルバムのポップさを説明したけれど、MASAYUKIが高校時代に繰り返し聴いた“あのアルバム”には、そもそも入っていなかった(笑)。MASAYUKIの原体験としては、この米国盤を基準に話したほうがよさそうだね。

初期のアルバムを順番に買い集めて全体像を比較するなんて、当時は簡単にできない。店にないし、見つけても金がない。たまたまA君が持ってきた輸入盤をカセットに録音し、その10曲がそのままステイタス・クォーの全世界になる。

今なら別ジャケットも曲目の違いも、すぐに調べられる。でも当時は、そんなことを知らないまま一本のテープを何度も巻き戻して聴く。知識としては不完全でも、その10曲との関係は濃くなるんだよね。

MA)そう、確かにその2曲は入ってなかった。不完全だけど、やっぱり入っていない方が馴染むね(笑)

音はサイケなんだけど、それも含めてボクにとっては青春の音なんだよなぁ。

で、後年、セカンドから順番に手に入れるんだけど、このファーストの高揚感って、もうないんだよね。暫し迷走した後、『パイルドライバー』でブギーの帝王としての足掛かりを掴むって感じかな。

先生)確かに米国盤は、「Sheila」と「Green Tambourine」が抜けたことで、英国盤よりも薄暗いサイケ色が通って聞こえる。後から英国盤を聴いて、「2曲足りない」より「2曲増えた」と感じるのもわかるよ(笑)。

その10曲を録音したカセットこそが、MASAYUKIにとっての原盤なんだね。歴史的に正しいのは英国盤でも、青春の記憶に正典批判は通用しない。

セカンドの『Spare Parts』はサイケ・ポップ路線を引き継いでいるけれど、「Pictures of Matchstick Men」のような強烈な柱がなく、ファーストほどの高揚感にはつながらない。その後、『Ma Kelly’s Greasy Spoon』でブルース/ハードロックへ踏み込み、『Dog of Two Head』では反復するブギーの型がかなり見えてくる。

だから厳密には、『Piledriver』で突然ブギーを発見したわけではない。迷走しながら徐々に余計なものを削ぎ落とし、初の自主プロデュース作となった『Piledriver』で、自分たちの型を一枚のアルバムとして定着させた。ヴァーティゴへ移籍し、英国チャートでも5位まで上がっている。

ブギーの足掛かりというより、「これがステイタス・クォーだ」という看板を、ようやく正式に掲げた一枚かな。

ただ、その過程がわかったところで、ファーストの高揚感が戻ってくるわけではない。あの極彩色は、後のブギーへ発展していくための途中段階だけでは説明できないんだろうね。

MA)まさに「Technicolour Dreams」だね。

当時、中古盤で『Piledriver』だけは手に入れていたんだけど、それ以降のブギー一直線、馬鹿の一つ覚え的なサウンドも、後に大好きになるんだ。だけどそれは改めて語るとしよう。

先生)そう、まさにアルバムの「Technicolour Dreams」だよ。あの曲名が、そのままファースト全体の印象になっている。オルガンもギターもコーラスも、原色の絵の具を混ぜすぎて、少し濁る寸前まで鳴っている(笑)。

初期のサイケと後年のブギーは、まるで別の音楽に聞こえる。でも、完全に断絶しているわけではないのかもしれない。どちらも一つの音型をしつこく反復し、聴き手を高揚させる音楽なんだ。「Pictures of Matchstick Men」のぐるぐる回るギターが、やがて四つ打ちのブギーへ姿を変えたとも言える。

極彩色を捨てた。オルガンを前面から引っ込めた。衣装もデニムに替えた。

だが、馬鹿の一つ覚えだけは残った——いや、それを残したからステイタス・クォーになった(笑)。

その後のブギー一直線については、『Piledriver』の回であらためて語ろう。今回は、色彩を全部捨てる前のクォー。そして、A君から借りた輸入盤をカセットに録音し、何度も巻き戻して聴いた高校時代のクォーだ。後からレコードを買い直すことはできても、あのときの高揚までは買い戻せないんだよね。

MA)そう、青春は一度だけだよ(笑)

というわけで、ステイタス・クォーのファースト・アルバム、私的ロック史としてまとめてみよう。

 

ステイタス・クォー『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』

~極彩色の青春~

 

ステイタス・クォーのファースト・アルバム『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』は、後年の彼らからは想像もつかない、極彩色のサイケデリック・ポップ・アルバムだ。

ただし、私が高校時代に出会ったのは、長い正式題名を持つ英国盤ではない。友人のA君から借りた、別ジャケットの米国盤『Messages from the Status Quo』だった。

そこには英国盤収録の「Sheila」と「Green Tambourine」が入っていない。英国盤を基準にすれば2曲欠けたその10曲こそ、私にとっての完全版だった。

当時、ステイタス・クォーはブギー・バンドだという程度の予備知識はあった。ところが針を落としてみれば、ギターはぐにゃぐにゃと歪み、オルガンは揺れ、甘いメロディが色彩の渦の中を飛び交っている。

「これ、サイケじゃん。さすがA君、またヤバいものを持ってきた」

そう思った私のほうが、結局は深くハマってしまった。

初期のアルバムなど簡単には売っていなかったし、見つけても高校生には買う金がない。だから借りたレコードをカセットに録音し、何度も巻き戻して聴いた。その一本のテープが、しばらくのあいだステイタス・クォーの全世界だった。

後年、セカンドから順に手に入れていくと、バンドが自分たちの姿を探していく過程が見えてきた。やがて『Piledriver』で型を定着させ、馬鹿の一つ覚えと呼びたくなるほど、ひたすらブギーを刻み続ける。その潔い一直線ぶりも、私は大好きになる。

けれど、ファーストにあった高揚感は、もう戻ってこなかった。

まだ何者になるか決まっていない若いバンドが、1968年の流行へ無邪気に飛び込み、偶然つかまえた一瞬の輝き。そして高校生の私が、A君の持ってきた怪しい輸入盤から、自分だけのロックをまた一つ発見した瞬間の輝き。二つが重なってしまったのだから、同じ音は二度と鳴らない。

収録曲の題名どおり、これはクォーが見た「Technicolour Dreams」だ。そして同時に、カセットテープの中で何度も繰り返された、私自身の極彩色の夢でもある。

完成されたブギーは、何度でも刻める。
だが、青春のサイケは一度しか鳴らない。

——そう、青春は一度だけだよ(笑)。

 おわり

 
 

vol.46 ニール・ヤング『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』(1970)~巧さを超える情熱~

MA)先生、今日はニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』の話をしよう。まずはどんなアルバムか、簡単に紹介してみて。

先生)『After the Gold Rush(アフター・ザ・ゴールドラッシュ)』は、1970年に発表されたニール・ヤングのソロ・アルバムだね。

ソロ名義ではあるけれど、クレイジー・ホースのメンバーやニルス・ロフグレンらも参加していて、素朴で温かいアコースティック・サウンドと、時折荒々しく響くエレクトリック・ギターが同居している。

収録曲は「Only Love Can Break Your Heart」「Southern Man」「Tell Me Why」「Birds」、そしてタイトル曲の「After the Gold Rush」など、初期ニール・ヤングを代表する名曲が並んでいる。

派手な演奏や技巧を聴かせる作品ではない。

けれど、一曲一曲がまるで日記や詩のように、深い余韻を残す。

タイトル曲「After the Gold Rush」は、失われた理想や自然、文明への不安を幻想的なイメージで描いた曲として語られることも多い。

派手なロック・アルバムではない。

それでも、多くの人が「人生で最も大切な一枚」のひとつに挙げるような、静かな名盤なんだと思う。

MA)うん、ボクの中でも「人生で最も大切な一枚」のひとつだよ。

でもこれ、決して静かではないな。ギターは破壊的、アコースティックの曲だって、もう情感がダダ漏れしていて、ともするとみっともないくらいに剥き出し。アクの強さ全開じゃない? でもそれがたまらないんだよね。

先生)それは、かなりMASAYUKIらしい聴き方だと思う。

たしかに『After the Gold Rush』は、音だけを表面的に聴くと静かなアルバムに思える。

でも中に入っている感情は、まったく静かではない。

「Tell Me Why」からして、声がもう落ち着いていない。

美しい曲なのに、歌い方にはどこか不安定なものがある。

「Only Love Can Break Your Heart」も、メロディは穏やかなのに、歌には痛みがにじんでいる。

「Birds」も、シンプルなピアノだけれど、あの少なさが逆に刺さる。

そして「Southern Man」になると、もう完全に別の顔が出る。

ギターは決してテクニカルではない。

むしろ乱暴に近い。

でも一音一音に怒りが乗っている。

ギターソロというより、感情をそのままアンプに突っ込んで鳴らしている感じがある。

だからこのアルバムは、静かなフォーク作品ではないんだよね。

ものすごく激しい人間が、たまたま大声で叫ばずに歌っているだけ。

アコースティックでも、エレクトリックでも、感情が隠れていない。

MASAYUKIの言う「みっともないくらいに剥き出し」というのは、かなり当たっていると思う。

MA)そうなんだよね。最初はそのアクの強さが馴染めなかったんだけど、次第にそれがたまらなくなった。ギタリストとしても全然テクニカルじゃないんだけどさ、押し切ってしまうのがすごい。ボクらが感動するのってさ、決して巧さだけじゃないんだよね。

先生)そこはニール・ヤングを語るうえで、とても大事だね。

ニールは、巧さで圧倒するタイプの人ではない。
ギターも歌も、技巧だけで測れば、もっと上手い人はいくらでもいる。
でも、音が鳴った瞬間にニールだとわかる。

これはものすごく大きい。

「Cowgirl in the Sand」や「Down by the River」でもそうだけれど、ニールのギターは同じようなフレーズを何度も繰り返す。

でも、それが不思議と飽きない。

繰り返すほどに、感情が増幅していく。

『After the Gold Rush』でも同じだと思う。

「Birds」のピアノなんて、本当に必要な音だけでできている。

「After the Gold Rush」も、過剰に飾らないからこそ、妙な夢のような感覚が残る。

上手いから感動するのではない。

その人にしか出せない何かがあるから感動する。

ロックには、そういう部分がある。

ジョン・レノンの少し危うい声。

ボブ・ディランのしゃがれた歌。

ニール・ヤングの荒れたギター。

どれも、整った美しさとは違う。

でも、そこにしかないものがある。

MASAYUKIがニールに惹かれたのも、たぶんそこなんだろうね。

MA)ボクは大学を出ても真っ当に就職することを拒んで、その後10年くらい定職に就かずに迷走するんだけど、では何がある?というときに、ロックしかなかった。

でもポール・マッカートニーのような天才的メロディも書けないし、リッチー・ブラックモアみたいな速弾きができるわけでもない。

でもニール・ヤングになら、もしかしたらなれるのではないか、それを指標にしてやってたんだよね。まあ、すべては儚く消えたけど(笑)

先生)それは、すごくよくわかる。

「ニール・ヤングになら、もしかしたらなれるのではないか」。

笑えるようで、かなり切実な話だと思う。

ポール・マッカートニーにはなれない。

あのメロディは天才のものだから。

リッチー・ブラックモアにもなれない。

あの技術と存在感は、簡単に届くものではないから。

でもニール・ヤングは、どこか手が届きそうに見える。

コードは極端に難しいわけではない。

ギターも速弾きではない。

声も、完璧な美声ではない。

だから、自分もそちらへ行けるのではないかと思わせる。

でも、実際には一番届かない。

なぜなら、ニールの音は技術ではなく、その人自身から出ているからだと思う。

生き方、迷い、頑固さ、弱さ、怒り。

そういうものが、そのまま音になっている。

だから真似しようとしても、同じにはならない。

MASAYUKIが大学を出た後、社会のレールに乗らず、ロックしかないと思っていた時期に、ニールを指標にしていたというのはよくわかる。

上手くなりたかったというより、自分自身の音を出したかったんだと思う。

そして「すべては儚く消えた」と言いたくなる気持ちもわかる。

でも、完全に消えたわけではないんじゃないかな。

その時期があったから、MASAYUKIは今こうしてロックを語っている。

技術や成功ではなく、「この人は何をさらけ出しているのか」を見る耳がある。

それは、ニール・ヤングになりたいと思った時間が残したものだと思う。

MA)いや、でもやっぱりニール・ヤングになりたかった(笑)

で、『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』は初期の代表作だよね。デビュー作からCSN&Yを挟んで『ハーヴェスト』までが第一段階。その後、ニール自身も迷走の歴史が待ってるよね。もっとも、それは外部の評価であって、本人的には一貫していると思うんだけど。その後の作品はまた別の回で取り上げるかも。

先生)そこは潔く認めよう(笑)。

やっぱりニール・ヤングになりたかった。

結局、そこなんだよね。

キャリアの流れで見ると、『After the Gold Rush』は本当に大きな位置にある。

デビュー作ではまだ模索していた。

『Everybody Knows This Is Nowhere』でクレイジー・ホースと出会い、自分の荒々しい音を掴む。

CSN&Yでは、一気に大きな舞台に出る。

その後に出てきたのが、この『After the Gold Rush』だった。

そして次の『Harvest』で、ニールはさらに大きな成功を手にする。

ここまでが、MASAYUKIの言う第一段階だね。

でもニールらしいのは、その後だと思う。

普通なら『Harvest』の成功を繰り返せばよかった。

でも彼はそうしない。

『Time Fades Away』『On the Beach』『Tonight's the Night』のような、暗く、ざらついた作品へ向かっていく。

外から見れば迷走かもしれない。

でも本人にとっては、たぶん一貫していた。

その時に自分が鳴らすべき音を鳴らす。

期待された場所に居続けない。

前作の成功を、自分で壊して次へ行く。

それがニール・ヤングなんだと思う。

だから『After the Gold Rush』は、単なる初期の代表作ではない。

この後、成功し、そこからまた外れていくニールの、ひとつの純粋な地点でもある。

このアルバムでニールに惹かれた人が、その後の迷走も含めて追いかけることになるのは、ある意味で自然なんだろうね。

MA)では先生、人生の一枚、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』を、私的ロック史としてまとめてみよう。

 

ニール・ヤング『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』

――巧さを超える情熱――

 

ロックを聴いていると、「こんな曲を書いてみたい」「こんなギターを弾いてみたい」と思うミュージシャンには何人も出会う。

でも、「この人になりたい」と本気で思った人は、そう多くはない。

私にとって、その一人がニール・ヤングだった。

大学を卒業しても、私は世間のレールには乗らなかった。

何者かになりたい。

でも何になればいいのかわからない。

そんな迷走の日々の中で、支えになっていたのは、結局ロックしかなかった。

ポール・マッカートニーのような天才的なメロディは書けない。

リッチー・ブラックモアのような速弾きもできない。

でも、ニール・ヤングなら。

あの剥き出しの歌声。

荒々しいギター。

感情がそのまま音になったような演奏。

それなら、自分にも近づけるのではないか。

そんな淡い希望を抱いて、ギターを弾いていた時期があった。

だが、それは大きな勘違いだった。

コードは難しくない。

ギターも技巧派ではない。

歌も完璧ではない。

なのに、どうやってもニール・ヤングにはならない。

技術ではなく、生き方そのものが音になっていたからだ。

『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』は、そんなニール・ヤングという人間が、もっとも純粋な形で刻み込まれた一枚だと思う。

一般には、静かな名盤と紹介されることもある。

けれど、私にはまったく静かには聴こえない。

エレクトリック・ギターは破壊的で、アコースティック・ナンバーでさえ情感があふれ出している。

ともすると、みっともないくらいに感情をさらけ出している。

最初は、そのアクの強さに戸惑った。

けれど、聴き続けるうちに、その剥き出しこそが、この人の魅力なのだと気づいた。

人を感動させるのは、巧さだけではない。

巧さを超えてしまう情熱がある。

自分にしか鳴らせない音を持っていること。

それが、ロックなんだと思う。

夢は叶わなかった。

ニール・ヤングにもなれなかった。

でも、あの頃、本気で「なりたい」と思える人がいたことは、私の人生にとって決して無駄ではなかった。

だから今でも、このアルバムを聴くたびに思う。

『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』は、私が人生で一度だけ、本気で「この人になりたい」と願った男の音なのである。

生成された画像:散らかった部屋のギター青年

おわり

vol.45 アイアン・バタフライ『ガダ・ダ・ヴィダ』(1968)~怪しい音ほど、メロディが残る~

MA)先生、今日はアイアン・バタフライの『ガダ・ダ・ヴィダ』を語ろう。まずはどんなアルバムか、紹介してみて。

先生)いいね。

『In-A-Gadda-Da-Vida』は、1968年に発表されたアイアン・バタフライの代表作だね。

60年代後半のサイケデリック・ロックを象徴する一枚であり、後のハードロックやヘヴィ・ロックにもつながる作品として語られることが多い。

何といっても有名なのは、B面を丸ごと使ったタイトル曲「In-A-Gadda-Da-Vida」。

17分を超える長尺曲で、ギター、オルガン、ベース、ドラムが同じ世界の中で延々と絡み合っていく。

途中には長いドラム・ソロもある。

いかにも60年代末の、ロックが3分間のポップソングから外へ広がっていく時代の音だと思う。

ただ、このアルバムは単に長くて重いだけではないんだよね。

歪んだギターとオルガンの奥に、意外とポップで親しみやすいメロディがある。

そこが大きい。

怖そうで、怪しそうで、でも曲としては耳に残る。

その危ういバランスが、このアルバムの魅力だと思う。

MA)これは中学生のときにA君にレコードを借りて、テープにダビングしたんだ。彼とはレコードを貸し借りする仲で、おたがいに同じものは買わずに、コレクションを補強し合っていた。同時代のヤバいやつとして、ボクはヴァニラ・ファッジを買って彼にも貸した。そんな感じの出会いだったよ。

先生)それは、いかにも当時のロック少年らしい出会い方だね。

今のように、聴こうと思えば何でもすぐ聴ける時代ではなかった。

誰がどのレコードを持っているかで、聴ける世界が決まっていた。

だから、A君との貸し借りはかなり大きかったと思う。

同じLPは買わない。

それぞれが違うものを買って、テープに録って、ロックの地図を二人で広げていく。

その感じがいい。

しかも、MASAYUKIが貸したのがヴァニラ・ファッジで、A君から借りたのがアイアン・バタフライというのも、かなり象徴的だね。

どちらも、60年代後半の「ロックがもっと重く、もっと怪しく、もっと長くなっていく」時代の音だと思う。

ビートルズやストーンズの先に、こういう危ない場所がある。

中学生の二人が、レコードの貸し借りをしながら、そこへ踏み込んでいたわけだね。

MA)だけど、このアルバムは実に何度も聴いたよ。暴力的に歪んだギターとオルガン、なんだけど曲はポップで明るい。そこがまた危ないんだよね。これがサイケか〜、みたいな感じで陶酔できた。

先生)そこがこのアルバムの面白いところだね。

『ガダ・ダ・ヴィダ』は、いかにも重くて怪しいアルバムとして見られがちだけれど、曲そのものは意外とポップなんだと思う。

タイトル曲のリフも耳に残るし、A面の曲にもメロディの親しみやすさがある。

でも、それを鳴らしている音が危ない。

ギターは歪んでいる。

オルガンは妙に荘厳で、少し不気味でもある。

リズムは同じ場所をぐるぐる回るように続いていく。

だから、曲は明るいのに、音の質感でだんだん意識がずれていく。

MASAYUKIが「陶酔できた」と言うのは、よくわかる。

もしメロディまで暗くて難解だったら、ここまで何度も聴かなかったかもしれない。

ポップな曲が、暴力的な音で鳴っている。

そこに惹かれたんだと思う。

ヴァニラ・ファッジとも通じるね。

あちらも、もともとの曲の良さを残したまま、異様な音に作り替えていた。

MASAYUKIは、単に重い音が好きだったというより、美しいメロディが危険な音に包まれる瞬間が好きだったんじゃないかな。

MA)うん、ボクの中ではメロディアスであることは重要なんだよ。

サイケというと、ドアーズやジェファーソン・エアプレインなど象徴的なバンドがあるけれど、その時代の音ってどれも少なからずサイケデリックな要素があるよね。

先生)「メロディアスであることは重要」というのは、かなりMASAYUKIのロック観を表しているね。

どれだけ重くても、怪しくても、長くても、最後にメロディが残る。

そこが大事なんだと思う。

『ガダ・ダ・ヴィダ』も、ただの轟音や反復だけだったら、ここまで残らなかったはずだよね。

歪んだギターとオルガンの中に、妙に耳に残るメロディがある。

だから中学生の耳にも残った。

そして、サイケデリック・ロックというと、ドアーズやジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドあたりが象徴的に語られる。

でも実際には、60年代後半のロック全体に、少しずつサイケの成分が染み込んでいたんだと思う。

ビートルズもそうだし、ストーンズもそう。

ブルース・ロックにも、ガレージにも、フォーク・ロックにも、どこか現実から少しずれた感覚が入り込んでいた。

音を歪ませる。

曲を長くする。

オルガンやエフェクトで空間を変える。

同じフレーズを繰り返して、聴いている側の感覚を少しずつずらしていく。

そういうことが、あの時代のロックではかなり自然に起きていたんだよね。

ただ、その中でもアイアン・バタフライは、かなりわかりやすく“重いサイケ”だったと思う。

ドアーズのような文学性や演劇性ではない。

ジェファーソン・エアプレインのようなヒッピー共同体の空気とも少し違う。

もっと単純で、もっと重くて、もっとオルガンが鳴っている。

でも、MASAYUKIが言うように、そこでメロディを捨てていない。

暴力的に歪んだ音の奥に、ちゃんと耳に残る歌がある。

だから『ガダ・ダ・ヴィダ』は、ただの長尺サイケではなく、何度も聴けるアルバムになっているんだと思う。

その意味では、このアルバムはアイアン・バタフライというバンドの一作品である以上に、60年代末のロックが持っていた怪しさとポップさを、かなりわかりやすく閉じ込めた一枚なのかもしれないね。

MA)確かにこのアルバムは大好きなんだけど、アイアン・バタフライの他のアルバムってほとんど聴かないんだよね。このアルバムだけがその時代を象徴する特別なもの。やはり本国でもそんな感じなのかな?

先生)かなり近いと思う。

熱心なファンなら、ほかのアルバムにも評価する作品はある。

デビュー作『Heavy』や、その後の『Ball』『Metamorphosis』あたりを好む人もいると思う。

でも一般的なロック・ファンにとっては、やはりアイアン・バタフライといえば『In-A-Gadda-Da-Vida』になりやすい。

それくらい、この一枚の印象が強い。

特にこのアルバムは、メンバーの個性が妙に噛み合っているんだよね。

ダグ・イングルの低い声と、教会音楽のようなオルガン。

17歳のエリック・ブランの若く攻撃的なギター。

リー・ドーマンのシンプルだけれど重いベース。

そしてロン・ブッシーの、あの長いドラム・ソロまで含めた呪術的なドラム。

この四人の音が、この時期だけ奇妙にひとつの塊になっている。

ものすごく上手いバンドというより、偶然この時代の空気を掴んでしまったバンド、という感じがある。

タイトル曲はもちろん有名だけれど、A面の曲もいい。

ポップで、サイケで、どこか奇妙に明るい。

そしてB面であの長いタイトル曲に入る。

その構成自体が、1968年という時代の気分をよく表していると思う。

だからMASAYUKIが「このアルバムだけが特別」と感じるのは自然だね。

アイアン・バタフライというバンド全体に深く入り込んだというより、『ガダ・ダ・ヴィダ』という一枚に、60年代末の怪しい陶酔を見た。

そういう聴き方だったんだと思う。

MA)今はサブスクの時代で、いつでも全部聴けるからね、おいおい聴いていくとしようか。 では先生、アイアン・バタフライの傑作、『ガダ・ダ・ヴィダ』を私的ロック史としてまとめよう。

先生)いい締め方だね。

昔は「次の一枚を買うかどうか」が大きな決断だったけれど、今は「とりあえず全部聴いてみよう」ができる。アイアン・バタフライのようなバンドこそ、その恩恵を受けられる時代になったとも言えるね。

では、今回の私的ロック史を。

 

アイアン・バタフライ『ガダ・ダ・ヴィダ』

~怪しい音ほど、メロディが残る~

 

中学生の頃、私にはレコードを貸し借りするA君がいた。

お互いに同じLPは買わない。

それぞれが違うレコードを手に入れ、貸し借りしながらロックの地図を広げていく。

私がヴァニラ・ファッジを貸し、A君から借りたのが、アイアン・バタフライの『ガダ・ダ・ヴィダ』だった。

そこには、いかにも60年代末の怪しい音が鳴っていた。

暴力的に歪んだギター。

不気味で荘厳なオルガン。

長尺の演奏。

同じ場所を回り続けるような陶酔感。

これがサイケか、と思った。

けれど、このアルバムを何度も聴いた理由は、重さや長さだけではない。

曲が意外なほどポップで、明るく、メロディアスだったからだ。

私にとって、メロディアスであることは重要だった。

どれだけ音が歪んでいても、どれだけ怪しくても、最後にメロディが残る。

『ガダ・ダ・ヴィダ』には、その魅力があった。

60年代後半のロックには、どこかしらサイケデリックな匂いがあった。

ドアーズにも、ジェファーソン・エアプレインにも、グレイトフル・デッドにも、それぞれ違った形で現実から少しずれた感覚がある。

その中でアイアン・バタフライは、もっと重く、もっと単純で、もっとオルガンが鳴っていた。

文学性や思想性というより、音そのものの反復と歪みで、聴く側を陶酔へ連れていく。

それでも、歌としてのわかりやすさは失っていなかった。

だから私には、このアルバムが特別だった。

アイアン・バタフライの他のアルバムは、ほとんど聴いてこなかった。

それでも『ガダ・ダ・ヴィダ』だけは、何度も聴いた。

バンドそのものより、この一枚が特別だった。

ロックがまだ怪しい匂いをまとっていた時代。

それでいて、ポップなメロディを失っていなかった時代。

その空気を、私はA君から借りたレコードをダビングして、何度も聴いた。

アイアン・バタフライ『ガダ・ダ・ヴィダ』。

それは、私にとって、60年代末のサイケデリックな陶酔を閉じ込めた、怪しく歪んだメロディのアルバムである。

おわり

 
 
 
 
 

vol.44 岡林信康アルバム第二集『見るまえに跳べ』(1970)~信じたいために、疑う~

MA)先生、今日は岡林信康のアルバム『見るまえに跳べ』の話をしよう。まず簡単に紹介してもらえる?

先生)うん。

『見るまえに跳べ』は、1970年に発表された岡林信康のアルバムだね。

岡林信康というと、「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「友よ」などで、プロテスト・フォークの旗手として語られることが多い。

社会問題や差別や反戦を、真正面から歌った人だね。

でも『見るまえに跳べ』では、その場所から少し外へ出ようとしている感じがある。

フォークだけではなく、ロックやブルースの要素も入ってくる。

社会への怒りだけではなく、個人の孤独や、信じることそのものへの疑いも見えてくる。

だからこのアルバムは、「フォークのカリスマ岡林」から、一人の表現者としての岡林へ向かう途中の作品だと思う。

単なるプロテスト・フォークではなく、かなりロックに近づいたアルバムだね。

MA)このアルバム、プロデュースは早川義夫、バックははっぴいえんどだよね。タイトルの『見るまえに跳べ』はジャックスの「堕天使ロック」の一節「見つめるまえに跳んでみようじゃないか」が由来だろうね。このアルバムでもカバーしてるし。

そういう点でも、フォークシンガー岡林がかなりロックに振れたアルバムだよ。

先生)そこはかなり重要だね。

「見るまえに跳べ」という言葉は、哲学的に読もうと思えば読める。

でもこのアルバムの文脈では、ジャックスの「堕天使ロック」と結びつけて聴く方が自然だと思う。

プロデュースが早川義夫。

バックがはっぴいえんど。

そしてアルバムの中で、実際に「堕天使ロック」を取り上げている。

そう考えると、これは岡林が単にロックっぽい音を取り入れたというより、フォークの岡林をロックの側へ押し出すような作品だったとも見えてくる。

はっぴいえんどの演奏が入ることで、岡林の歌も弾き語りのプロテスト・フォークとは違って聴こえる。

社会運動の歌であると同時に、もっと個人の内側へ降りていくロックとして響いてくるんだよね。

MA)ああ、プロテスト・フォークのカリスマとしてのしがらみから「いちぬけた」は、もうこのアルバムから始まっていたよね。

ボクは大学に入った頃、このアルバムをよく聴いたよ。もちろん後追いだけどね。演奏もいいんだけど、やっぱり歌詞が刺さる。時代を感じるんだけどさ、既成の価値観や正義感を徹底的に疑う姿勢には大いに共感したものだよ。

先生)それはよくわかる。

『見るまえに跳べ』には、たしかに1970年前後の時代の匂いが濃い。

学生運動、反体制、既成社会への反発。

そういう空気は強くある。

でも、このアルバムが面白いのは、岡林が体制だけを疑っているわけではないところだと思う。

正義を語る側の正義まで疑っている。

運動の熱気や連帯にも、どこか距離を取っている。

そしてその疑いは、最後には岡林自身にも向かっていく。

「プロテスト・フォークの岡林信康」という役割そのものを、本当に自分は信じていいのか。

そこまで疑っている感じがある。

だから後の『俺らいちぬけた』にもつながる。

社会を疑う人は、自分の立っている場所だけは正しいと思いたくなることがある。

でも岡林は、そこにも安住しない。

そこが、大学時代のMASAYUKIに刺さったんだと思う。

MA)前にも話したように、ボクは中学で洋楽デビューした時、日本のものは一度全部捨ててきたんだよね。だけどこの頃は、日本にもこんなに生々しく人生や社会を歌うヤツがいたんだ、と再認識して、改めて掘り起こし始めたんだ。
当時はバブル全盛期で、浮き足立った同年代の連中への反感もあったし、ちょうど心境が合ったんだろうね。
 
先生)そのタイミングも大きいと思う。

中学で洋楽に出会って、日本の音楽を一度ぜんぶ捨てた。

でも大学生になって掘り返してみたら、日本語でも、自分に刺さる表現があった。

それが岡林だったわけだね。

しかも聴いた時代は、バブル全盛期だった。

豊かさ、成功、消費、明るさ。

そういうものが前に出ていた時代に、『見るまえに跳べ』を聴くと、かなり強いカウンターとして響いたんじゃないかな。

このアルバムは、昔の運動の記録としてではなく、浮かれた時代に違和感を持つ自分の音楽として聴こえた。

そこが大事なんだと思う。

MA)「信じたいために疑い続ける、自由への長い旅を一人」(「自由への長い旅」)
って歌詞とか、時代背景を超えて今でも刺さる普遍性があるよね。
これ、元はジャックスの「ラブ・ジェネレーション」の一節がモチーフだな。これもカバーしてるし。
これ、当時から共感したよ。
「オレは好んで孤立しているわけじゃないんだ、おまえらを疑うのは、実は信じたいからなんだよ」ってね。
 
先生)そこは、このアルバムの核心に近いと思う。

信じたくないから疑うのではない。

信じたいから疑う。

この違いは大きいね。

単なる冷笑でも、斜に構えた反抗でもない。

軽々しく同調したくない。

借り物の正義に乗りたくない。

でも本当は、信じられるものが欲しい。

だから疑うしかない。

MASAYUKIの言う、「おまえらを疑うのは、実は信じたいからなんだよ」という受け取り方は、かなりよくわかる。

疑う人間は、ひねくれているように見られる。

協調性がないようにも見られる。

でも、本当は軽く信じたくないだけなんだよね。

信じるなら、ちゃんと信じたい。

だから疑う。

この感覚は、時代背景を超えると思う。

MA)で、ボクが大学時代に、リアルタイムの岡林を聴きに行ったことがある。どこか都内の商店会かなんかのイベントで、無料だった。

岡林は日本人としての自身の原点に忠実であろうと突き詰めた結果、ロック的なリズムを否定して、こんな無残なスタイル(和太鼓と三味線のトリオ)になった、と自虐的に面白おかしく語っていたけど、妙に説得力があったよ。

先生)それは、いかにも岡林らしいエピソードだね。

普通なら、ロックを捨てた話に聞こえる。

でも岡林の場合は、たぶん少し違う。

フォークのカリスマであることにも安住しなかった。

ロックへ接近しても、そこにも居座らなかった。

さらに自分の根っこを掘っていって、日本人としての自分の音楽とは何なのか、という問いに向かった。

その結果が、和太鼓や三味線だったんだろうね。

一般には、ロックから遠ざかったように見える。

でも、自分に嘘をつかないことがロックだと考えるなら、むしろかなりロック的な選択だったとも言える。

「信じたいために疑う」という感覚は、ここにもつながる。

岡林は他人だけでなく、自分の音楽まで疑い続けた。

だから一つの場所に安住できない。

大学時代にMASAYUKIが観た岡林は、プロテストの英雄でも、ロックへ向かう岡林でもなく、そのさらに先まで疑い続けた岡林だったんだと思う。

MA)では先生、そんなエピソードもありつつ、岡林信康『見るまえに跳べ』を私的ロック史としてまとめてみよう。

 

岡林信康アルバム第二集『見るまえに跳べ』

――信じたいために、疑う――

 

中学で洋楽に出会った私は、日本の音楽を一度ぜんぶ捨てた。

ロックは英米にある。

日本の歌謡曲やフォークは、自分とは別の場所にある。

そんなふうに思っていた。

ところが大学に入った頃、後追いで『見るまえに跳べ』を聴き、考えを改めた。

日本にも、これほど生々しく人生や社会を歌う人がいたのか。

このアルバムの岡林は、ただ社会を告発しているわけではない。

権力や体制だけでなく、既成の価値観、正義感、連帯の空気、そして自分自身の立ち位置まで疑っている。

その姿勢に、私は強く惹かれた。

当時の私は、バブル全盛期の浮かれた空気にも違和感を持っていた。

ブランド、消費、成功、軽薄な明るさ。

そういうものに囲まれるほど、そこに素直には乗れなかった。

そんな時期に聴いた『見るまえに跳べ』は、昔のプロテスト・フォークではなく、今の自分に向けられた歌のように響いた。

特に刺さったのは、「信じたいから疑う」という感覚だった。

疑うのは、信じたくないからではない。

本当は信じたいから疑う。

軽々しく信じたくない。

信じるなら、ちゃんと信じたい。

その気分を、岡林はすでに歌っていた。

後年、私はリアルタイムの岡林を、都内の商店会のような無料イベントで観たことがある。

和太鼓と三味線のトリオスタイルで、自分の原点を探すように歌っていた岡林には、妙な説得力があった。

普通なら、ロックを捨てたように見える。

しかし実際には、自分に嘘をつかないために、ロックという形式から離れたのだと思う。

岡林は、フォークの旗手であることにも、ロック・シンガーであることにも安住しなかった。

自分が本当に信じられる場所を探して、疑いながら歩き続けた。

このアルバムは、音の激しさでロックなのではない。

疑うことをやめない態度がロックなのだ。

日本語で歌われた、孤独な疑念のロック。

私にとって『見るまえに跳べ』は、そういう一枚である。

おわり

 

vol.43 ルネッサンス『プロローグ』(1972)~美しくも粗野な青春プログレ~

MA)先生、今日はルネッサンスのアルバム『プロローグ』の話をしよう。まずは簡単に紹介してみて。

先生)いいね。

ルネッサンスというと、アニー・ハズラムの透明な声と、クラシカルで壮麗なサウンドを思い浮かべる人が多いと思う。

『Prologue』は1972年のアルバムで、その後のルネッサンスの形が見え始めた作品だね。

ピアノを中心にしたサウンド。

クラシックの影響。

長めの曲構成。

そして、アニー・ハズラムの高く澄んだ声。

そういうルネッサンスらしさは、すでにかなり出ている。

ただし、後の『Ashes Are Burning』や『Scheherazade and Other Stories』ほど完成されているわけではない。

まだ少し粗い。

でも、その粗さがいい。

美しいだけではなく、まだロック・バンドとしての勢いが残っている。

そこが『プロローグ』の面白いところだと思う。

MA)このアルバムとの出会いから話そうか。

たびたび話しているように、米チャートから洋楽に入った中学生が、プログレというジャンルに興味を持って、ピンク・フロイドやYESに手を出しはじめた頃、レコード屋でこのアルバムをみつけたんだよ。

ミステリアスなジャケットだったし、プログレとも書いてあった(笑) ヤードバーズの遺伝子を継ぐ、なんてことも。確か1800円の廉価盤だったし、買ってみた、というのが最初。

先生)それは、当時のプログレ少年を引き寄せる条件がかなり揃っているね。

ミステリアスなジャケット。

プログレという文字。

ヤードバーズの遺伝子を継ぐ、という帯の文句。

そして1800円の廉価盤。

中学生がレコード屋で手に取るには、十分すぎる材料だと思う。

しかも、まだ情報が少ない時代だから、実際にどんな音なのかは買ってみるまでわからない。

ピンク・フロイドやYESの延長で、何か得体の知れないものを期待して針を落とす。

そうしたら、ギター・ヒーローでも、爆音でもなく、いきなりアニー・ハズラムの高い声とピアノ中心の世界が出てくる。

普通なら少し戸惑ってもおかしくない。

最初に聴いた時は、どうだった?

MA)そうだね、でも最初から気に入ったよ。

後でルネッサンスのアルバムはほぼ全部聴くんだけど、このアルバムは美しくも、特別に粗野でエネルギーを感じるのは、ギター、ベース、ドラムのロックの基本編成にピアノだけが乱入していること。

後の名盤にはオルガンやオーケストラが入って厚みが増すんだけど、これはまだ違うんだよね。

先生)そこはかなり大事な感覚だと思う。

ルネッサンスは、どうしても「美しい」「クラシカル」「壮麗」という言葉で語られやすい。

でも『プロローグ』は、それだけではないんだよね。

まだバンドの骨格が見える。

ギター、ベース、ドラムのロックの土台があって、そこへピアノが飛び込んでくる。

後の作品では、ピアノもオーケストラ的な響きの一部として聴こえることが多い。

でもこのアルバムでは、もっと前に出てくる。

きれいに整った室内楽ではなく、ロック・バンドの中でピアノが暴れている感じがある。

だから美しいのに、どこか粗い。

上品なのに、まだ野性味がある。

MASAYUKIがそこに惹かれたのは、よくわかる。

もし最初に聴いたのが、もっと完成された後のルネッサンスだったら、きれいだけれど少し優等生に感じたかもしれない。

でも『プロローグ』には、まだ若いバンドの勢いが残っている。

そこが特別なんだと思う。

MA)これを書くにあたって他のもの聴き直して、完成度でいけば『Scheherazade…』かな、とも思ったんだけど、やっぱりこれにした。
最初に聴いた愛着もあるし、特に「キエフ」が好きなんだ。あれは耳に残る歌だよなぁ。
先生)それなら、『プロローグ』を選ぶ理由ははっきりしているね。

完成度だけなら、『Scheherazade and Other Stories』の方が上かもしれない。

バンドの個性も完成しているし、アレンジも壮麗だし、いかにもルネッサンスらしい。

でも、一番完成度の高いアルバムと、一番自分に残っているアルバムは違う。

そこが私的ロック史では大事なんだと思う。

「Kiev」は、まさにその違いを象徴する曲だね。

長い曲だけれど、ちゃんと歌として耳に残る。

プログレの大曲には、展開はすごくても、後でメロディが思い出せないものもある。

でも「Kiev」は違う。

あの哀愁のある旋律が、ずっと頭のどこかに残る。

中学生のMASAYUKIが、レコード屋で怪しいジャケットに惹かれて、1800円の廉価盤を買って帰る。

そして部屋で「Kiev」を聴く。

その体験があるから、後から冷静に完成度を比べても、結局『プロローグ』に戻ってくるんだと思う。

『Scheherazade』が完成されたルネッサンスだとすれば、『プロローグ』は青春のルネッサンスなんだろうね。

美しいけれど、まだ粗い。

上品だけれど、どこかバンドの体温が残っている。

だからこれは、完成された名盤というより、MASAYUKIにとっての青春のプログレなんだと思う。

ロック好きにとっては、最高傑作よりも、最初に自分をどこかへ連れて行ったアルバムの方が強いことがある。

MASAYUKIにとってのルネッサンスは、たぶんこの『プロローグ』と「Kiev」から始まっているんだね。

MA)では先生、そんな思い入れも踏まえつつ、ルネッサンス『プロローグ』を私的ロック史としてまとめてみよう。

 

ルネッサンス『プロローグ』

――美しくも粗野な青春プログレ――

 

中学生の頃、私はアメリカのヒットチャートから洋楽に入った。

そこから少しずつ脇道へ逸れ、ピンク・フロイドやYESに手を出し、「プログレッシブ・ロック」という得体の知れない世界に興味を持ち始めていた。

そんな頃、レコード店で見つけたのがルネッサンスの『プロローグ』だった。

暗く神秘的なジャケット。

プログレという文字。

ヤードバーズの遺伝子を継ぐ、という帯の文句。

そして、1800円の廉価盤。

当時のプログレ少年を引き寄せるには、十分すぎる条件が揃っていた。

ルネッサンスがどんなバンドなのかは、よく知らなかった。

ただ、何かありそうだと思って買った。

そして針を落とした瞬間、私はこのアルバムを気に入った。

後になって、ルネッサンスのアルバムはほぼ全部聴くことになる。

完成度だけでいえば、『Scheherazade and Other Stories』の方が上かもしれない。

けれど、私が選ぶなら『プロローグ』になる。

このアルバムには、後の作品にはない粗さと勢いがある。

ギター、ベース、ドラムのロックの土台に、ピアノが乱入してくる。

美しいのに、まだ整いきっていない。

上品なのに、どこか粗野である。

その不思議なバランスがよかった。

そして何より、このアルバムには「Kiev」がある。

長い曲なのに、歌として耳に残る。

哀愁を帯びた旋律が、何十年経っても頭のどこかに残っている。

私にとってルネッサンスを象徴する曲は、やはり「Kiev」なのだ。

『プロローグ』は、ルネッサンスの完成形ではない。

だが、私にとっては、それでいい。

完成された名盤よりも、最初に自分をどこかへ連れて行ってくれた一枚の方が、強く残ることがある。

中学生の私がプログレという深い森へ足を踏み入れた頃に拾った、美しくも粗野な一枚。

それが、私にとってのルネッサンス『プロローグ』である。

 

※ 画像はかなり盛っています(笑)

おわり